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初夏、トロント島と呼ばれる直径4kmほどの小さな島で過ごしていたことがある
ヨットを停泊させておくのが主な目的の島で
夏になると、島の中央部にある小さな遊園地が稼働するが
それ以外は住民もおらず、一応整備されているアスファルトの歩道は車が通ることもない
あるのは草っぱら、そこここに生い茂る若い樹木、まわりを囲む湖
そこをある日、一人で歩いていた
空は曇り空で、一雨きそうだった
友人のヨットが停めてあるところまで、1kmくらい歩いて戻ろうとしていた
ぽちん、とアスファルトの道路に黒いしみができた
しみはだんだんたくさんできて
さささっと道路脇の草が音をたてた
雨をさえぎるものはなく
ゆるく蛇行した道路を、とぼとぼと歩くしかなかった
湖にも雨が降り、湖面に斑点ができる
草が濡れ、木が濡れていく
もしも私がここにいなくても
この雨はこうやって降っただろう
「誰もいない山の中で、大きな木が倒れました。さて、音はしたでしょうか。」
という哲学の問いかけ
「音を受け取るものがいなければ、音はただの空気の振動である。
故に、音はしなかった。」
という、もっともらしい答え
心の中で、切り返す
「誰もいない路地裏で、小さな猫がなきました。さて、ほんとうに子猫はないたのでしょうか。」
梅雨時に雨の音を聞くと
どこでもない、どこかに降っている雨の音を感じる
誰にも見守られず、山々や湖に降る雨
曇り空を見上げると、聞こえるようになった
ハロウィーンは万聖節
HalloweenはもともとHallowmas Eveと呼ばれ
Hallow(すべての聖人)+mas(お祭り)+eve(前夜祭)が訛って
Halloweenになったとされている
キリスト教ではすべての聖人が天国からこの世に戻ってくる日が11月1日で
10月31日はその前夜祭
日本で言うとお盆の行事に近い
ところがこのお祭りはカナダとアメリカ合衆国の北米限定で
他の英語圏(イギリス・オーストラリア・ニュージーランド等)では
ハロウィーンイベントそのものを知らない人が多い
たいてい平日であることが多いこの日
街はノリノリで
銀行なんかも一歩入ると
店員はハロウィーンのコスチュームを着ているし
銀行内には蜘蛛の巣がざばーっとかかっている
ドラキュラの格好をした銀行員を相手に
そこでお給料の小切手(paycheck)を現金にかえたりしていると
笑いがこみあげてきてしまうのだ
なんかこのお金、インチキそう、と
夕方に仕事が終わっていったん家に帰る道すがら
ステッキ持ってマントを羽織ったガイコツとすれちがう
日がまだ高いので、この風景にも笑いがこみあげる
10月31日、トロントはもう初冬
紅葉したメイプルの葉もおおかた地面に落ちて
コートなしでは歩けない
だけど街の熱気は夜になるにつれむんむん満ちてくる
日が暮れると、まずは子どもたちのパーティが始まる
お菓子を配る気のある家は、家の外灯をつけておく
これが合図で
見知らぬ子どもたちの一行が次から次へドアをノックしてくる
"Trick or treat?"(トリック・オア・トリート!)というのが掛け声で
日本語にすると
「悪さをされたくなければ、お菓子をよこせー!!」というようなもの
子どもたちは一人一人趣向をこらした仮装をしてくるので
一人一人にお菓子をあげながら
「あらー、恐そうねー。何の仮装なの?」と聞いてみる
みんな得意げに
「フランケンシュタイン」
「デッド・ソルジャー」
「魔女」とか、名乗りながらお菓子を手にする
そして夜が更けると、大人たちのパーティが始まる
目抜き通りのヤング・ストリートで
それぞれ怪しげな仮装をした友だちと落ち合って
人混みを徘徊しながらコスプレ見学をするもよし
バーに入って見知らぬ同士で盛り上がるもよし
目を見張るような自作コスチュームが多い
1991年に撮った写真のお気に入り
混沌が暴動にならないように警察の騎馬隊も配置についている
街はバケツの底が抜けたような大騒ぎ
ハロウィーンの晩だけはあそこに存在しにいきたい、と思う
今年もハロウィーンがやってくる
その公共交通機関を総称してTTCと呼んでいた
Toronto Transit Commitionの略
トークンと呼ばれるTTC専用コインを1枚持って
どこかの駅の改札にぽちんとトークンを入れると
TTCの路線の続く限り、どこまでも地下鉄と市バスを乗り継げる
北へ行く路線はノースバウンド
南へ行く路線はサウスバウンド
東西へはイーストバウンド、ウエストバウンド
「これに乗ったらあの方角へ行けるんだな」という
アバウトな感覚で利用するTTC
ある日「スイカを買いにいこう」と思いついて
家の近くを走っていたノースバウンドのバスに飛び乗った
目的地はどこでもよかった
スイカさえ売っていれば
途中でバスを乗り継いで東へ向かう
さらに乗り継いで北、次はちょっと西、北、それから東
景色がきれいなところでバスを降りる
なんという町かは知らない
花壇や街路樹や石畳や
ベッドファブリックのお店やベーカリーを眺めながら
ついでにスイカを売っている店を探す
店先に投げうったように並んでいる
西洋種の長太いスイカを1つ買い求め
片手にぶら提げて、今度は帰りのバスに乗る
帰りのバスはサウスバウンド
バスの窓からどこかの大学の建物が目に入る
大学のプレートを確認する
紙のお金しか持っていない人がバスに乗り込んできて
「両替してくれよ」と運転手に食い下がる
規則でお金に触れることを許されていない運転手が
くるりと後ろを振り向いて「誰か×ドル崩せねえか?」と乗客に大きな声をかける
やさしげな乗客たちがあちこちで自分の小銭入れを探って「あるよ」「ないよ」と言う
紙のお金の持ち主はめでたく小銭を手に入れ
運転手と乗客にお礼を言って、バスを降りていく
そんなやりとりを見ながら
膝の上にまるごとのスイカを抱えた私を乗せて
TTCはどこまでものんびりと走る
当時は片道1ドル50セント
家に帰ってバスタブに水を張って
長太いスイカをぼちゃんと投げ入れて、冷やす
隣の家の猫が風呂場に潜入し
バスタブの淵に座ってぷかぷか浮いたスイカを見下ろす
冷えた頃、切り分ける
球体ではなく円筒形なので、ぶつりぶつりと輪切りにする
5cm幅に輪切りした巨大な円盤スイカを皿に置いて
裏庭でスプーンなんかでほじって食べる
(注:正式な食べ方かどうか知りません)
スプーンを片手に路線マップを広げて
今日小旅行した道のりを確認してみる
目印の大学の場所を確認して
町の名前を覚えておこうと思う
今度の獲物はサーモンなんかがいいかなと考えた
トロントの夏の終わりごろ
会社帰り、八百屋さんの軒下で売れ残ったスイカを眺める
TTCは今日もいろんな人を乗せて
トロントの街を走っているかな
昔、世にも珍しい縦書きのローマ字の手紙を受け取ったことがある
ふと思い出して、引き出しの奥にしまっておいたそれを取り出してみた
今はもう会うことのない、かつての友人からの手紙
15年前、私はトロントで日本語の教師をしていて
ジルさんというカナダ人に日本語を教えていた
彼女は言葉に対して非常に貪欲で
覚えた単語をすぐに口に出してはみるものの
見事な英語思考の人だった
例えば、日本語学校にジルさんがやってきたときの会話:
(以下、実話です。)
私:「ジルさん、何か飲みますか?」
ジル:「はい、どうぞ!」 (←"Yes, please!" のつもり。)
私:「コーヒーでいいですか?」
ジル:「元気です!」 (←"That's fine." のつもり。)
私:「砂糖かミルクをいれますか?」
ジル:「黒です!」 (←"I drink it black." のつもり。)
私は教師という立場だったので、笑いを堪えるのが精一杯だった
年が近かった(というか同い年だった)ので、すぐ仲良くなった
彼女の勤務先に社会科見学にいったり、家に招かれたり、飲みに行ったりして
一緒によく遊んでもらった
その後、9月頃にジルさんは仕事で日本へ行き
私はそれから6ヶ月間トロントに滞在した
11月頃、日本のジルさんにトロントからバースデーカードを送った
それから3ヶ月かかって、返事がきた
持っている教科書や辞書を使って日本語をつなぎあわせて
便箋3枚使って、縦書きのローマ字で、
彼女は一生懸命、日本語で手紙を書いてくれた
ローマ字で書かれた「似非日本語」→「英語思考への変換」→「日本語への変換」
という、一筋縄ではいかない、頭の芯が痺れるような内容の手紙だけれど
彼女の人柄と愛らしさが書面に溢れている
"Domo arigato gozaimasu no tame ni nafudo desu."
"nafudo"って何だ・・・?なふど、なふど、あ、「名札=Name Card」だ!「(誕生日)カード=名札」なわけね。
"Thank you for the card." ということか。
という文に始まり
週末に東京に買い物に言った話
駐車違反をして15,000円の罰金を支払った話
TVで志村けんさんの番組が面白いことなどを面々と書き綴ってくれた
"Hiko" = 「彦」=「男性」のことであったり
"Ugokashi" = "moving" = 「引越し」のことであったり
"moshi moshi" = "Hello" =「よろしく」であったりするので
英和辞典に載っている単語の可能性を探りながら、暗号の解読を行った
そして、手紙の最後に書かれた文は
"Watashi no anata wa tari nai!"
ここは、ぐっときた。
彼女は"I miss you!" を日本語で表現しようとしてくれた
手紙の中で使う"I miss you."は「あなたがここにいなくて寂しい」
旅立つ相手に使う"I miss you."は「あなたがいなくなると寂しくなる」
長い間会わなかった相手に使う"I missed you."は「あなたがいなくて寂しかった」
"miss" は存在の欠落のこと
今、彼女とは友達づきあいをしていないので
彼女のことを考えるときはいつも
どうして縁が切れてしまったのかと考える
友人が長く友人であるためには
相手との距離のとりかたが大切なのではないか
物理的な距離ではなくて、心理的な距離
その距離をどちらからともなく測りつつ
ただそこに存在し続けることが
友情を長持ちさせる秘訣なのではないかなと思う
私と彼女は、どちらかがどちらかの心の境界線を
ある時、一歩踏み越えてしまったのだ
価値観が人間関係にとって大切なものならば
距離感も価値観のひとつだろう
大人になって友人があまり増えないのは
相手と自分の距離感を一から構築するのは、実は大変な仕事だからかな
友人との距離のとり方はかけひきみたいなところがあって
ぐっと歩み寄る必要がある時もあれば
弾かれることも、弾いてしまうこともある
後になって気がつけば、歩み寄った気になって
ただ自分の気持ちを和ませるために、その人を利用していただけのこともある
どれだけその人を失いたくないと思っているか
どうやったらその人を失わずにいられるか
自分自身に問いかける作業は、きっと大切なこと
失った友情をひとつ見つめ直しながら
そんなことを考えた
トロント空港に初めて足をつけた時
出迎えに来てくれた知人夫妻とその友人
空港の両開きのガラスの扉を
2人のおじさんがばんと開けてくれた
「ようこそカナダへ」
私はとても温かくカナダに迎え入れられた
1991年のカナダの初夏7月
オンタリオ湖にぷかぷか浮ぶ
知人夫妻所有のヨットの上で寝起きしていた
知人夫妻のヨットは
船内に2つの船室があって2〜3人が寝泊まりできる
ひとつの家のようなものだった
夏の間、夫妻のヨットは
直径4kmの小さなトロント島の運河に停留させておいて
ほとんど毎日ヨットの上で暮らしていた
その生活にしばらく参加することにした
することも特になく
朝起きて、焼いたトマトとベーコンと卵2つの朝食を食べ
フェリーで本島から新聞を運んでくる友人がくれば
新聞の求人欄に○をつけて過ごす
昼はヨットクラブのカフェで食事をとり
2階のデッキからヨットレースを見下ろし
夜になれば1階の遊技場で
弾ける人がジャズピアノを弾き散らしたり
ダーツやヨット話に興じたりして時間を過ごす
時間はゆっくりゆっくり流れていた
運河付近を歩いていると
私を見つけてがばっと手を振って笑顔で
「ボンザイ!」と言ってくれる好青年がいた
「万歳」か「盆栽」どちらなのかはっきりとはわからなかったけれど
今でも彼のことは大好きで、よく思い出す
湖開きのイベントで
ヨットクラブ所有の大きな船が祝典に参加した
乗っているのはクラブの役員達
その船の上に真っ白なシャツとパンツに
ひときわ色鮮やかな水色のジャケットを羽織った黒人女性が乗っていた
白人ばかりのヨットクラブで、とても大切にされていた女性だった
船の上から彼女がにっこり笑って
島で唯一人の小さなアジア人の私に
ウィンクを送ってくれた
ウィンク一つにこめられたものは
あたたかい「ガンバレ」
彼女の大きなやさしさが伝わってきた
カナダで出会った人たちのWelcomeは
しっかりと大きくて
少しもさみしいと思う時間がなかった
いつもあたたかい微笑みをありがとう
いまでもあなたたちが大好きで
忘れられない
ジュリアス・シーザー・ヤコブ?
偽名だ。ぜったい偽名だ。
という私の疑念のもと
70歳のこのユダヤ人のおじいちゃんに日本語を教えることになったのは
15年も前のカナダでの出来事
ユダヤ人の歴史や背景については
決して詳しくはないのだけれど
知人にユダヤ人が何人かいて
揃いもそろって絵に描いたように頑固で
プライドは崖の上にそびえたっている
ジュリアス・シーザーは、古代ローマの偉い人
旧約聖書ではユダヤ人は皆ヤコブの子孫であるという
ある日私の勤務先を訪れた
ジュリアス・シーザー・ヤコブ爺さんは
眼鏡の奥でユダヤ人独特の目をぎらぎら輝かせて
日本語を学びたいと思った動機をこう語った
「私はね、ヨーロッパのすべての言語が理解できるんだ。
ブルガリア語もハンガリー語もギリシャ語も全てだ。
だがね、日本語というものを最近よく耳にするのだが
まったく理解できないのだよ。それがたいへん耳障りなんだ。
イライラするんだよ。なぜこの私が理解できない言語があるのだ!」
そう言った次の瞬間、ジュリアス・シーザー・ヤコブ爺さんは
事務所の電話の受話器をとって誰かに電話をかけ始めた
私が同僚と顔を見合わせて唖然としている間も
ジュリアス・シーザー・ヤコブ爺さんは延々と電話を続けた
やがて電話を切ってこう言った
「どうかね?私のブルガリア語は?」
こうしてジュリアス・シーザー・ヤコブ爺さんに
日本語初級コースを教えることになった
ジュリアス・シーザー・ヤコブ爺さんは
Wの文字を見ると「ヴァ」と発音する
ドイツ語系の訛りの持ち主
レッスン1の「わたし」と「あなた」でつまづいた
「WATASHI WA SEITO DESU.」 -I am a student.
ヴぁたしヴぁ、せいとです。
ジュリアスさん、日本語では「WA」は「わ」と読みますよ。
もう一度読んでみましょう。
WAは「わ」なのだね、わかったとも。やってみよう。
わたしヴぁ、せいとです。
「わたし」のあとの「WA」も「わ」と読みますよ。
もう一度読んでみましょう。
わたしのあとの「WA」も「わ」なのだな、わかったとも。やってみよう。
ヴぁたしわ、せいとです。
と、このようにレッスンは進んでいった。
とにかくやんちゃでやんちゃで
カレンダーの読み方を「ついたち」「ふつか」「みっか」と教えたら
「この無駄な活用はなんのためにあるのだ?
カレンダーを読む時以外にこの単語は使うのか?
ヨーロッパの言語ではこのような理不尽な活用はしない!
私は日本語で日付の活用を覚えることを永久に放棄する!」
と叫び
それでも私が「ビジネスで予定の交渉ができないと困りますよね」
と説得したら
しぶしぶ覚え始めた
「ふつか、フツカ、フッツサカー、Foot Soccer,
よし。ふつかはFoot Soccerと憶えれば簡単だ。ふつか、みっか。
Foot Soccerは、それで何日のことだったかな?」
などなど、今思い出しても漫才のようだ
ジュリアス・シーザー・ヤコブ爺さんは
レッスン毎にプレゼントを抱えてやってきた
あるときはチョコレート、あるときは造花のアレンジメントバスケット
あるときはカナダの水鳥のプリントTシャツ
そうして20回の初級コースが終了し
ジュリアス・シーザー・ヤコブ爺さんは
日本語という言語の存在を自分の中に許し
教室から去っていった
15年経って
我が家のタンスの引出しを開けると
ジュリアス・シーザー・ヤコブ爺さんがくれた
カナダのプリントTシャツがぴょこんと顔を出す
頑固で我が強くて
納得できないことには駄々をこねて大暴れして
でもプレゼントを持って教室に入ってくる時は嬉しそうだった
いつのまにか
人のタンスの中にいつまでも存在してしまうような
そんなおじいちゃんだったのだ
そしてカナダのプリントTシャツは
何回着まわして、何回洗濯機でまわそうとも
丈夫でへこたれず
今年の夏も、元気に我が家のベランダで風にはためくだろう
マレーシアに小旅行をした時
市街地から5km離れたホテルに帰るのに
タクシーを拾おうとして手を挙げた
停まってくれたタクシーの後部座席には
女の人と3人の子ども
タクシーの運転手がにこにこして
「仕事が終わって、家族とドライブしてたんだけど、乗ってく?」と言った
乗せていただいた上に運賃も支払った
トロントの激安よろず品小売店で
品物を手にレジ待ちをしていた
私の前に5,6人、私の後ろにも長蛇の列
ようやく私の番になった時
レジのお姉ちゃんが
「こんにちは、調子はどう?いいお天気よね。あら、いい色の布を選んだわね、これはお買い得なのよー」
と大変ゆったりした口調で話しかけてきた
なぜ長蛇の列ができていたのか理解した
世間話の重要さを学校で教えているらしい
のどかな女子高の昼休み
クラスメートとの廊下での歓談中、古典の先生が加わってこうおっしゃった
「どう、あなたのクラスには体毛をお持ちの方はいらっしゃる?」
一同、凍りついた
17才という身の上にはあまりにも酷な話題
しかもここは女子高だ
一人が驚愕しながらやっと答えた
「い・・・、いると思います!」
放課後、冷静になってふと気がついた
「あ・・・、たいもう=大望=AMBITION!!」
カナダで郵便局がストライキをおこした
ほんとうに手紙が届かなくなった
ストライキは2週間続いた
ストライキが終わって
届き始めた郵便物は最近の消印のものばかり
そこから序々に一週間前の消印のものが届き始めた
次の週にそれ以前のもの、そのまた次の週に…
あ、郵便物ひょっとして、ほんとうに山にしてほっといてた?
それで、上のほうから作業してる?
知り合いのユーゴスラビア人のレイラお姉ちゃん
ユーゴスラビアで産婦人科医の免許を持っていた
感謝祭の七面鳥をキッチンの台において
七面鳥のお腹につめものをして
針と糸で縫い合わせた
「こうやってこうやってこうやって縫うのよ、これで縫い跡は残らないの!完ぺきよ!完ぺき!」
と誇らしげに言っていた
キッチンで産婦人科医の華麗な指さばきを見たのは
後にも先にもあれっきり
何よりもありえないのは
彼女が結婚して移住したオーストラリアで
彼女の医師免許が通用しなかったこと
レイラお姉ちゃんは焦らず騒がず、気の遠くなるような道のりを選択した
今、オーストラリアの医学部1年生
友人にお江戸日本橋の呉服屋の娘がいる
呉服屋の娘は顔がちょっときれいだ
彼女とは共通の友人を介してトロントで知り合った
きれいで豪快な子というのが第一印象
彼女についていくと必ずおいしいものが食べられる
そしてその食べ物に関する単語量の豊富なこと!
食べものの単語だけは一度聞いたら
絶対忘れないと言っていた
彼女に食べ物のことを質問するとためらいなく答えが返ってくる
「リングイニって何?」
「幅広のスパゲッティのことよ」
「レリッシュって何?」
「きゅうりなんかの酢漬けのみじんぎり」
「リコリスって何?」
「甘草(カンゾウ)って薬草から作られたお菓子」
バクラバ、ツァツィキ、ガンブローニ・・・
彼女の知識は中近東からギリシャ、ユーゴスラビアと幅広かった
ご飯を一食抜いたら彼女に説教されたことがある
「いい?ご飯をおいしく食べられる回数は一日に3回
日本人女性の平均寿命をせいぜい80才として
私たちが80年の間に食べられる食事の回数は
3回×365日×80年で、ほんの限られた回数なのよ!
そのうちの1回でもみすみす機会を逃すなんて!」
人の食事のことなのに
自分のことのようにくやしがっていた
帰国してからも日本中に散らばった友人達が
連絡を取りあってお江戸に集まる
「今回はベトナム料理でお願い」というと
呉服屋の娘が広いお江戸の中から
店を手配して皆に連絡をつける
「中華料理」「タイ料理」「シュラスコ料理」
お題を与えられると
使命感に燃えて、皆が満足する店を探し出す
「あたしゃダテに給料全部
トイレに流してんじゃないのよ!」
と鼻息荒く口上する彼女は
お江戸日本橋のちゃきちゃき娘
今日もお江戸の空の下
「小腹(こばら)がへったなー」
と言っている彼女の独り言が聞こえるよう
トロントにいた時、チャイナタウンに行くのが好きだった
新鮮な野菜を買いに行くためと
アジアの匂いを嗅ぎに行くため
それから点心を食べに行くため
焼売や饅頭などの点心は食事と食事の間の軽食
これらの点心と一緒にお茶を飲むことを飲茶という
日曜の午後、何某飯店というところに点心を食べに行く
何十個もの湯気のたった蒸篭(せいろ)をカートにのせて
しわがれ声のおじいちゃんたちが点心の名前を連呼して
客席と客席の間を通り抜けていく
チャイナタウンはまさに中国そのもので
中国語以外の言語は通じない時が多かった
蒸篭を覗き込んで「これは中に何が入っているのですか?」
と英語で聞いてもおじいちゃんは
点心の名前を中国語でまくしたてるだけ
とにかくおいしそうだと思ったものを指で指して
湯気のたった蒸篭をどんどんテーブルに置いていってもらう
食べてみて初めて「豚だ」とわかるものもあれば
最後まで自分が何を食べたのかわからないものもあった
中国人は常に忙しそうだ
ポットに入ったジャスミンティーを飲みきってしまったら
蓋をはずして置いておくと、せかせかと店員がやってきてお湯を注いでくれる
この時握りこぶしを作ってテーブルをこんこんと2回叩く
「ありがとう」をこれで済ます
テーブルには正方形の薄いビニールクロスが何十枚もかけてある
客が席を立ったら店員が一番上のビニールを1枚めくって
食器ごと上に持ちあげる
小皿と茶碗とお箸がぶつかりあってものすごい音を立て
風呂敷包みにされて持ち去られる
3秒後、まっさらなビニールクロスのかかったきれいなテーブルが用意される
チャイナタウンの店先で、それぞれの店から聞こえてくる呼び込みの声
よく耳を凝らすと「ガオガオ」「ガオガオ」と言っている
通りを歩く人に「ガオガオ」
野菜や果物を籠に盛り合わせながら「ガオガオ」
ついに中国人の生徒に聞いてみた「ガオガオってなんていう意味?」
生徒はちょっと困惑して、微笑みながら答えてくれた
「ひょっとして、ガオホーガオのことですか?99セントってことですよ。」
次の日曜日のチャイナタウンで
私は茄子を一袋手に取って店員に差し出した
店員は無表情でレジを叩き、私に向かって「ガオガオ」と言った
おそるおそる1ドルコインを渡したら、1セントのお釣りがきた
「よっしゃあ!!」と心の中でガッツポーズをした瞬間
中国の空を広げるため、中国人は世界中でチャイナタウンを作る
中国でなくても構わないのだ
中国人が住んでいるところが中国の空の下
1991年から1992年にかけて
トロントで日本語を教えてる仕事をしていた
生徒はほんの少しのカナダ人と
財産ごと移り住んできた香港人、上海人、台湾人などだった
その中に混じってイタリア人、ユダヤ人、スウェーデン人などがいた
日本語を習う目的はほとんどがビジネス目的で
生徒のほとんどがビジネス専攻の大学生や
日本企業で働くビジネスマン
仕事で日本に行く人、日本人客を扱う人などだった
たまに
趣味でという人、日本の漫画を読みたいという人
動機が不明の人もいた
その中に、マイケルさんというホテルマンがいた
少数派のカナダ人
私が会ったカナダ人は皆
のんびりしていて、気が好く、親切だった
カナダ人でホテルマンのマイケルさんも
のんびりした人だった
入門篇の日本語の授業では
簡単な挨拶のしかたと動詞の活用から入る
動詞の種類を多く知れば
現在のことも過去のことも、話をするのは簡単になる
日本語で会話のやりとりをしながら
生徒さんの人となりを発見するのが好きだった
私:「マイケルさん きのうは何をしましたか?」(LEVEL 1)
マ:「わたしはきのうテニスをしました」
「それからビールを飲みました」
「それからテレビを見ました」
「それからカード(トランプ)をしました」(すべてLEVEL 1)
なんて絵に描いたようなのんびりした休日の過ごし方でしょうか
にこにこしながら話をするマイケルさん
カナダ人はっけーんの瞬間です
さぁ、次の質問をしてみましょう
本日のお題は「趣味を語る」です
私:「マイケルさんのしゅみは何ですか?」 (LEVEL 2)
マ:「わたしは」
私:「はい」
マ:「ジェイムズボーンド」
私:「?」
マ:「Memorabilia でぇす!」
入門篇の生徒は一様に
知らない日本語はとりあえず英語で言ってみて
「です」をつけてなんとかまとめる
"I collect James Bond Memorabilia."
とマイケルさんは言いたかったわけです
とにかく何でもかんでもジェームズボンドのものなら
集めてしまう蓄集家ということですね
とっても意外!
でもなんでジェームズボンド!
「どうしてですか」
と次の瞬間に聞いていた
マイケルさんは考えながら考えながら言葉を紡ぐ
マ:「子どものとき ジェイムズボーンドが すきでした」
「でも お金が ありませんでした」
「いまは 大人です」
「お金が ありますから」
のんびりとした日常を送りながら
お金を使ってジェームズボンドグッズを集めるマイケルさん
自分にとって価値のあるものを
自分の力で集めるということは
なんと素晴らしい自分自身の建築であることか
あの頃から
それに気づくようになった